行政書士田中建太郎が生まれてから⑤
ということで、同世代の行政書士の友達を得た私は、彼が得意なWEBの知識を使って許認可の専門受付サイトを作ってもらいました。
そこで問い合わせがあったときに、実際に会社にお伺いして、名刺交換のやり方とか、対応の仕方なんかを私がやったとして、時には一緒に行ってもらってやり方を学んでもらってというウィンウィンの関係性で協業していきました。
しかしながら蜜月は長くは続きません。
やはりお互い個人事業主同士。時間や労力や報酬の配分に不公平感が生じるとやはり一緒にやっていくのは難しい。ということで喧嘩別れしたわけではありませんが、いったん協業関係は解消して、それぞれの得意の許認可サイトを分けて自分たちの道を進むことになったのでした。
とはいえこの時に学ばせてもらったWEBマーケティングの知識や体験はとても役立っております。
いまは行政書士をやめてしまったKくんその節はありがとうございました。
さて、Kくんと一緒にやってる間に、亀戸の自宅から、上野の顧問先の会社の一区画を間借りする形で事務所を移しました。それまでは自宅事務所ということでやっぱり仕事とプライベートが分けられずダラダラしてたんですが事務所を分けたことで事務所に行ったら仕事する。という意識に変化できたのがとてもよかったです。
そこでは、総務経理を担当していらしたK林さんに会社の事務のやり方を教わり大変勉強になりました。
そのころは派遣法や会社法が改正されたころで、許認可の依頼が割と多くて、非常に売上好調でしたので初めて事務の女の子を雇ってみたりしましたね。
しかし、私の事務所は専門的に一つのことだけやっているわけでなくて、お客様によって依頼がバラバラなので、依頼がきたときに事務の女の子に書類を作ってもらって、でも作ってもらうためにまず手引きの見方やコツを教えて、そして間違いだらけの書類をチェックしてなんてことは面倒なんで、結局自分で作ってしまって、事務の女の子は電話番くらいしか仕事がなくて申し訳なかったでしたね。
あと売上の調子がいいときはいいですが、調子が悪くなると給料払うのは大変でした。
やっぱり自分の給料分は自分で稼いでくれる人でないと雇えないなあと感じたことが、いまの美容室の創業にもかかわってきます。
明日へ続く。