行政書士田中建太郎が生まれるまで④
そんな中学時代、私は塾に通っていたのでボチボチ勉強できるほうでした。
しかし運動は苦手でした。小学校5年生から目が悪くなり眼鏡をかけるようになったんですね。
4年生のときにはかった視力が1.5でしたが、5年生のときにはかった視力は0.3ととんでもなく目が見えにくくなってきました。
そうすると、外でボール遊びなんかしてても高く上がったボールが空に溶け込んでしまって見えなくなったりするんで面白くないんですよ。
結果もともと好きでもなかった外遊びをせずインドアでゲームしたり漫画読んだりとダラダラ過ごしていたんで運動能力はまったく育たず中学校のころには運動能力が平均以下の冴えない男子ができあがったわけです。
運動ができなくても勉強ができればいいんだろと、開き直って運動できない自分からは目を背けておりました。
中二くらいのときは、偏差値が70いくつとか、たいして勉強もしてないのにワタシは天才かと思いましたが、中三になってみんな受験だと目の色変えて勉強しだすと、たいして勉強していないワタシの偏差値は急降下、60いくつくらいまで落ちました。
偏差値ってのは結局周りの人と比べてどれくらいの位置にいるかというだけの指標なんでワタシの学力の伸びよりも、他者の学力の伸びのほうが高ければどんどん下がっていくんですね。
中二のころは、当時千葉県一の公立高校である千葉高にも入れるんじゃないかなと高を括っておりましたが中三でみんな受験勉強がんばってくると、とてもそんなのむりむりかたつむりの情けない状況。
当時の私の学区で入れる学校は、偏差値順に①県立千葉高校②県立千葉東高校③県立木更津高校~と続いておりました。
①はとても手が届かない。
②はもうすこし努力すれば入れる可能性がある。
③はたいして努力しなくてもこのまま成績を落とさなければ入れそう。
という選択肢が、高校受験の際に現れ出てきました。
そこで私が選んだ選択肢は。。。。
明日へ続く