行政書士田中建太郎が生まれるまで㉕

さて行政書士試験にも合格したワタシですが、行政書士というのは試験に合格しただけではお仕事できるわけではありません。

日本行政書士会連合会に登録しないと業務ができないのですね。

 

そして、いざ合格してはみたものの、やはり自分のような社会人2年目でなにもわからない若造がいきなり独立自営ができるのかビビッてしまったワタクシは、ネットで知り合った試験勉強仲間が、次々に開業していくのを横目に、ふんぎりがつかずにぐずぐずとサラリーマンをしていました。



そして2003年4月、社会人3ねんめを迎えるとともに、新規事業部へ異動した私はそこで独立へ向けて大きく舵を切る大切な出会いをするのでした。

 

 

新規事業部に異動した私は、営業研修としてある会社に2ヶ月間出向することになりました。

 

その会社は設立4年目のベンチャー企業でバリバリの営業会社(以下A社といいますね)です。フリーター出身のE社長が設立した広告企業でした。

 

A社では取締役の平均年齢が当時28歳くらいでした。

従業員の平均年齢も25歳くらい。

とっても若い会社です。

 

出向元の派遣会社は、平均年齢が40歳オーバーくらいでしたのでずいぶんとカルチャーショックを受けました。

私は、そこで広告を売る営業マンとして研修させてもらっていたのですがそこで知り合ったのが財務担当取締役のKさんでした。

 

Kさんは、たしか当時26歳でしたが、A社に至るまでにさまざまな職業を経験されておりました。

世界で一番の売上を上げた飛び込み営業マンを振り出しに不動産業界、税理士事務所、たこ焼き屋、大工、パチンコの打ち子などなどなど。。。

Kさんは、私に「商売とは何か」を教えてくれた方です。

売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」という考え方はKさんのご出身の滋賀県は近江商人の考え方です。

このころ「てんびんの歌 」をA社で初めて見せてもらってこの考え方は常に私の根底にあります。

 

商いとは、生業とは、営業とは、さまざまなことを教えていただきました。

パラダイムシフトというか、自分の価値観が変わるのがわかりました。

 

新卒で勤めた企業は当時は上場企業ではありませんでしたが資本金や社員数で言えば大企業でした。

売上も500億くらいあって、社歴も30年以上ありました。

そのかわり、官僚的なところもあり風通しの良い職場ではありませんでしたが、A社はみな若く、進取の気風に富んでおりなにより若くして起業して頑張って結果を出している人がいます。

祖父は警察官、父は商社マン、親戚も全て公務員や勤め人という堅い環境で育った私にとっては衝撃的でした。

もしかして私も努力すればできるんじゃないか

こうなれるんじゃないかと感じたのですね。

 

このタイミングでこうした出会いをいただけたのも幸運でした。

 

明日へ続く。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です