行政書士田中建太郎が生まれるまで㉔
ということで23歳になり、社会人二年目になりましてGWから本格的に勉強を始める私です。
一刻も早く、宮仕えを辞めるためにその年の試験に照準を合わせて勉強しました。
ちょうどその年は前年に行政書士試験制度が変わって、記述式試験がなくなったかなにかで難易度がさがっていたんですよ。
書店にて「半年で受かる!行政書士試験最短最速合格法」とかいうノウハウ本を買ってそこに書いてあるとおりに勉強してました。
もう20年近く前なんであいまいな記憶で申し訳ないんですが、要は試験科目と配点に応じて勉強の重点を変えようという内容だったと思います。
いまはどうか知りませんが、当時の試験内容だと、例えば民法が4問、商法が4問出ます。
民法は1000条くらいあるし、商法も600条くらいあります。
しかし商法は民法の特別法なんで民法理解してないと勉強しようがないから民法だけやりこんで商法は捨ててしまいましょう。
とかそんな内容だったかと思います。
憲法、行政書士法、行政法といった絶対落とせない科目をおとさずに合格ラインの点数をとれるように最小限の勉強をして資格をとろうということですね。
70点以上で合格の資格試験で100点取っても別に余分に資格がもらえるわけではないので、70点ギリギリ合格を目指そうというのは仕事をしながら資格試験の勉強をする私にはとても魅力でした。
合目的的というかいまふうに言うとコスパがいい勉強法です。
当時を振り返ってみると平日は仕事があるので最低2時間土日で合わせて8時間の勉強ノルマを自分に課してセコセコ勉強してましたね。
半年間は会社のバーベキューや花見など全て断り、会社の昼休み中も六法を読んだりネットで行政書士試験過去問一問一答をやってたりしてました。
受験勉強は辛かったですが、なによりこのままこの会社にいることのほうが辛かったので大学受験のときよりも一生懸命頑張りました。
人間追い詰められたほうが高いポテンシャルを発揮できるのかもしれません。
そして迎えた2002年10月の試験日。慶応大学の三田校舎で受験しました。そして翌年1月の合格発表。ドキドキしながら合格者番号を探すと私の受験番号がありまして、あのときの喜びは忘れられないですねって言いたいけど、すいません、もう忘れてしまいました(笑)
確かこの年は出題ミスがあって全員正解になる問題があって2点得したりと合格率もすごく高かった年でした。
20%くらいあったんじゃないかな。おかげでギリギリの点数でしたがなんとか行政書士試験に合格することができたのでした。