本のご紹介

今日は、お客様の資料が来るのを待つ間、確定申告の準備をしております。

毎年のことですが、昔と違ってだいぶキャッシュレスで生活しておりますため集計は楽になりましたね。

e-taxなんかもマイナンバーカードで本人確認できて便利になりましたし、時代はどんどん便利になってまいります。

 

さてそれはさておき、昨日予告しました通り、私の好きな本をご紹介いたしましょう。

 

まずはこの本

 

 

未読の人はとにかくご一読いただけるとよいでしょう。

アマゾンの商品説明では下記のように説明されております。

商品の説明

内容紹介

著者の鍵山氏が社長を務めるローヤルは、年商数百億円に上る自動車部品卸業の大手である。
だが、35年前のスタート時は、著者が自転車に乗っての行商だった。
どうしてこのように大きくなることができたのか。
秘策も奇策もない。
例えば掃除1つにも心を込め、人に喜ばれることを徹底する。
偉大な実りはそれに尽きる。
大きな人生は実践の徹底という小さな生き方以外にはないと説く著者の語り口は、諄々として説得力に満ちている。
成功を目指す人必読の実践哲学である。
日本経営システム相談役で『喜びの発見』(弊社刊)の著者である浅野喜起氏との対談を併載。

 

 

 

イエローハットっていうCM見たことあるんじゃないかと思います。
 
車用品とか車検とか、自動車関連の黄色い帽子のロゴマークのお店ですが、あそこの会社の創業者が鍵山秀三郎先生です。
 
いまは会社は引退されて「日本を掃除で美しくする会」の相談役だそうですね。
 
 
 
 
この先生の「凡事徹底」について、本文を引用しながらに、どんな内容かをご紹介してまいります。
 
 
 
 
 
~前略~
 
 
「簡単なこと、単純なことを極めていく」
 
 私を含めて世の中の人は誰でも、特別になりたい、人より頭一つ抜きんでて特別な人生を送りたいと思っているわけですが、これは人間だけでなく犬や猫でもそうで、同類の中で特別でありたいというのが、動物の本能です。しかし、まもなく還暦を迎えるこの年まで人生を送ってきて、世の中に特別なこととか特別なものはなにもない、とつくづく思うわけです。
  
~中略~
  
 私の場合はたまたまなにもできなかった、特別な才能がなかったということで、才能のない私自身がこの世の中を渡っていくためには、悪いことをするか、あるいは、徹底して平凡なことをきちっとやっていくかのどちらかしかありませんでした。悪いことをする勇気がなかっただけに、凡事を徹底して今日までやってきましたが、それが結果としては大変大きな力を持っていることをつくづく感じるようになりました。
  この大きな力を持っているものを一人でも多くの方が実行してくだされば、世の中に争いごとや無理なことが起きなくなって、世の中全体がもっと余裕のある社会になるのではないかと思って、こうして話をしております。
  これは、やればだれにでも簡単にできることを徹底して、その中で差をつけるという考え方です。ところが簡単なことというと、「そんなことをやっていたって何にもならないじゃないか。そんなことをやっていたのでは人に遅れてしまう。この競争社会の中で勝っていけない」というふうに思って、バカにしたり、おろそかにする方が大変多いわけです。
 
 ~中略~
  
「成果をあげる人と上げられない人の差」
 
 世の中で、皆様はそれぞれに努力をしていらっしゃるのですが、一生懸命仕事をされても、成果をあげられる人、あげられない人の両方があります。成果をあげられる人をA、あげられない人をBとすると、Bの人は怠けて遊んでいるかというとそうではなくて、むしろBの人のほうがAの人よりも一生懸命、長い時間休まないで働いていることのほうが多いのですが、結果を見ると、成果につながらない人がわりあい多いのです。
  どういうところからこれがくるかというと、Bの人はやることなすこと無駄が多く、やってもやってもエネルギーが無駄に流れてしまって成果につながらないわけです。
  
~中略~
 
  それでは、どうしたら無駄が少なくなるかということですが、当然、いつもこういうことに気を付けて、気づく人になることです。これは当たり前のこと、わかっていることですが、気づく人になかなかなれない。なろうと思ってなれるものではありません。どうしたら気づく人になれるかというと、私はいつも気づく人になる方法を二つお話しています。
  
「僅差、微差の積み重ねが大差となる」
 
 一つは、微差、あるいは僅差の二つをいつも追求し続けることです。普通、わずかな差だとついバカにしてしまうのですが、例えばいままで①という方向でものを売っていたが、これを②に変えるとします。この差が大きければだれでも変えるのですが、ほんのわずかしか結果は変わらない、あるいは成果がよくなるかどうかもわからないということになると、だいたいやらないで、今までやってきた方法を続けてしまいます。 
 どうしてかというとやりなれたやり方が楽だからです。だれでもいままでやってきた手慣れたやり方のほうが楽です。例えば、歯を磨くのでも今まで横に磨いていた人が、歯医者さんから縦に磨きなさいとい言われても、すぐに明日から変えられるものではありません。忙しいとつい、「今日はいいや」と横に磨いてしまって、またもとへ戻るというふうにどんな小さいことでもいままでやってこなかったことをやろうとすると抵抗があってなかなかできません。 
 そして①と②の差が少ないとつい①に戻ります。ところが、②に変えられる人は、③がいいと思うと③、④がいいと思うと④、⑤というふうに変えていく努力ができます。⑤あたりまで来ると、初めてこれは大きな差になって現れてきます。⑥までいった人を見て、あれは素晴らしいから自分も⑥をやろうと挑戦する人も多いのですが、これができなくて①に戻ってしまう。
  これが世の中で大変多いわけです。私はもともとが愚鈍で、何の才能もなく、背景もなかったために、ほんのわずかでもいいことならばそれに取り組んできました。それが結果として、長い年月を積み重ねて大きな力になってきたわけです。
 
~中略~
 
もともと仕事というのは、単純で単調です。退屈で、見栄えのしない、やりがいのないものだと思います。ところが、それに耐えられなくて、単純、単調ではない、もっと派手なやればすぐ成果につながる、すぐに儲かる、あるいは人にすぐ認められ、すぐに評価されることをやりたくてしょうがなくて、結果的には一つもいい評価につながらないという人が多いのです。
 
 「一歩踏み込んで人を喜ばせる」
 
 気づく人になるもう一つの条件は「人を喜ばす」ことです。微差、僅差の追求よりもこちらのほうが大きな要素だと思いますが、絶えず人を喜ばせる気持ちで物事をやる、人生を送る、毎日を送るということです。これを続けて一年経てば、本当に人が変わるぐらい気づく人間に代わってしまいます。 
 これをやっていますと、周囲の人たちから、「あの人はこの頃すっかり人が変わった」と言われるようになるのですが、こういう気持ちのない人、物事に対して無関心な人は、周囲の人から、「あの人はいくつになっても変わらない」という評価を受けるわけです。ですから、なるべくなら「このごろ変わった」といわれるようになればいいのですが、私のように「変わった人」だと言われるようではいけません。
 ここに寺田清一先生の書かれた『尊徳翁遺訓』という小さな本があります。この本の中に、「人を喜ばす」ということで素晴らしい教えがありました。
 
 二宮尊徳が若い時に一軒のささやかな家を持つようになって、わずかながら田畑も持てた。その畑を耕そうとしたらクワが壊れてしまったので、隣のおじさんのところへクワを借りに行ったところ、隣のおじさんは、いま自分も畑を耕して菜の種をまこうとしているところだから、それが終わらなければ貸せないと言いました。 
 そのときに、普通の人なら「それじゃあ、終わったら貸してください」ということで終わるのですが、尊徳翁はさすがに違います。「私が代わってその畑を耕しましょう。菜の種も出してください。私がそれをまいてあげます」といって、隣の人の畑を耕して菜の種をまいてあげました。そうしたら隣の人は「これから以後は、クワに限らず何でも困ったものがあったら言ってきなさい。なんでも用立ててあげる」と言ったのです。「ああ、そうですか、それじゃ、あとでまた貸してください」で終わる人が世の中には大変多いのですが、こういうふうに、一歩踏み込んで人を喜ばすことがいかに大きな力を持つかということです。クワ以外の道具を貸してもらうというのはいかにも小さなことのように見えますが、実はそうではなく、大変大きな力を持っているのです。
  こんな話をすると、いかにも自慢めいた話になるのですが、わかりやすいために一つの例としてお話をしたいと思います。 
 私どもの会社は千代田区三番町九番地で、住宅地としては日本で最高の場所にビルを持っていて、EUの日本大使館として貸しております。社歴が30年、しかも私のように裸一貫で東京へ出てきて、自転車の行商から始まったような人間が買えるような場所ではありません。隣はローマ法王大使館、反対側の隣は日本生命さんでその間にはさまった素晴らしい場所です。
  なぜそんな場所を私のような力のないものが買えたかというと、ほうき一本、ちりとり一つで私がその付近をずっと長年掃いていたというそれだけで、持ち主さんがただみたいな、とても金額では表せないようなわずかなお金で売ってくださったから持てたのです。 
 これも尊徳翁の隣の畑を耕したというのと同じようなもので、別に私はそれを譲ってもらおうと思ってやったわけではないのです。もともと少しでも周囲をきれいにしたいという気持ちでやっていたことが、結果としてとんでもない大きなものに結びついたということになるわけです。
  
~中略~
 
「人が見捨てたものの中に宝の山がある」
 
 私は今朝まで、用があってある温泉のホテルに泊まっておりました。風呂場へ行くとスリッパが山のようになっていて、スリッパの上にスリッパが脱いであります。何十足もあると私もできないのですが、十や十五なら人のものでもちゃんとそろえて入ります。出てくるとまた山のようになっております。またそれを揃えて出てくるというふうにしております。 
 それからお風呂場へ入っても、自分が使った腰掛の上にちゃんと洗い桶を伏せておきます。私が湯船の中に入ってみていると、新しく入ってきた人はみんなそういうところへ行きます。散らばっているところへは行きません。その人は元へ戻すかというと、また自分は散らばらせます。それで私がそろえておくと、またそこへ行く。
  だいたいそういういもので、人の揃えた履物は掃いていきます。そういう人が世の中には多いとつくづく思うのですが、そういう部類に入らないほうが人生がよくなるのではないかと思います。 
 私は人のスリッパを揃えてきて損をしたことはありませんし、人の洗い桶を片付けてひとつも損をしたことがありません。むしろ、私のような愚鈍な人間が世の中でなんとかやっていけるようになったのは、すべてこれのおかげだと思っております。 
 いまからでも遅くありませんから、ぜひやっていただきたいと思います。もう遅いなんて思う人はダメです。いまから、今日から、やっていただきたいと思います。
 
 ~中略~
 
「小さく生きて大きく遺す」
 
~中略~
 
 会社ではこのほかに、食事などで出前を取ったら、必ずその器を洗って戻します。たとえ何十あっても、忙しい時でも全部きれいに洗って返します。それから社員旅行で温泉などに行っても、必ず履物をきちっと揃えます。宴会場の入り口でもきちっと揃える、温泉の風呂場へ行っても入口のスリッパを揃えるというようなこともします。
 さらに宴会でも六時から九時までと決まったら、八時四十分か四十五分でピタッとやめてその宴会場を空け、後の人が片づけやすいようにして帰ります。そういったことを心がけていると、次々といいことが起きます。
 例えば、あなたの会社は九時まででいいですよという枠を与えられると与えられた枠を小さめに使って、八時四十五分に終わります。そうすると、次には「お宅は十時まで使っていいですよ」と与えられる枠が大きくなります。枠を使いつくさないで、必ず小さめに使っておくと、次々と与えられる枠が大きくなって、おしまいには何をやってもいいですと言われるようになります。 
 以前、わが社の社員八十人ほどで、大坂のある由緒ある旅館に留めていただいたことがありました。そしてそのちょうど一年後に、またその旅館にお世話になると電話をかけたところ、すでに一年経っているのに「ローヤルさんでっか」と、ついおととい会ったように親しく言ってくれました。「実は今度はいろいろお願いごとがある」とお願いごとをいくつかしたのですが、その場で快く引き受けてくれて、全部用が足りたことがありました。 
 なぜか。一年前に行ったときに、私のほうが約束よりも小さく小さくしていたからです。もし、一年前に行ったときに、九時という約束を九時半か十時までやっていたりしたら今度お願いしたときに「ちょっとそれは無理ですな。とてもお引き受けできません」と言われていたと思います。それをいつも枠を使いつくさないで小さめに使うと与えられる枠が次々と大きくなっていって、おしまいには無制限になります。 
 逆に、「お宅は九時までにしてくれ」といわれたときに「三十分くらいいいんだよ」と勝手に九時半まで延長すると、「次は八時半までにしてください」といわれる。八時半にしてくれと言われて九時までやると、次は「八時に終わってくれませんか」というふうに、どんどん小さくなって、おしまいには、「お宅は来ないでください」と言われます。
 
~中略~
 
私は、たとえホテルの料金に石鹸もシャンプーもカミソリの代金も全部入っていても、それを使いつくしません。お金を払ったから当たり前という考え方は持ちません。そういうふうにしていくと、実にいろいろないいことがたくさん起こりました。
 
~後略~
 
 
 
 
とまあ、ちょっと長めに引用いたしましたが、基本的には自分がちょっと損をしても世のため人のために譲りましょうという考え方で生きていく、というだけなんですね。
 
 
 
私も今でこそ、こんな立派そうなことを言っていますが、もともとの人間は本当にだめだめで、枠を与えられたら使い切らなきゃ損、むしろプラスアルファで相手に無理を通してこちらのわがままを貫いてこそお得なんて考えている小さい人間でした。
 
 
しかし、子供も生まれ人の親になったときに、はたと気づきました。
 
子供に善悪を教えるには、自分が悪いことばかりしてたら教えられないぞと。
 
 
そこでこの本に出会い、なによりも心を惹かれたのが、私のような凡人でも簡単にできることを、ただ続けているだけで千代田区のビルが手に入るという我欲です(笑)
 
スリッパをそろえるだけでそんないいことおこるなら、これはやるしかないなとそういうわけで始めました(゜∀゜)
 
 
でもまあ、なんでもなにかしら毎日やっていけば習慣になりまして、靴をそろえたり、ゴミや吸い殻を拾ったりするのは最初は「ええかっこしいとみられるんじゃないか」とか「恥ずかしい」なんて心理的な抵抗がありましたがいつの間にかやって当たり前になりまして、タバコの吸い殻など落ちておりますと、以前自分がポイ捨てしていた時代を思い出しては罰が当たらずに、いま罪滅ぼしができる環境にいることがありがたいとすら感じるようになります。
 
 
 
 
積小為大
 
大きなことを為すためには、小さなことを積み重ねるしかない
 
 
 
一隅を照らす
 
 
 
一燈照遇万燈照国
 
 
 
という言葉もあります。
 
 
 
 
いきなり大きなことを成し遂げることは難しいので、簡単なこと、誰でもできることを、誰もできない期間やり続けてみるといつの間にか大きなことを成し遂げられたという鍵山秀三郎先生の実体験を実証してみたい。
 
 
 
 
実践されている鍵山秀三郎先生は、四十年間雨の日も風の日も盆も正月も休まずただビルの前の道を、はじからはじまでほうき一本ちりとり一つで掃除していただけで千代田区のビルがもらえたわけですから、私もたばこの吸い殻拾っておけば、誰かが飴玉くらいはくれるかもしれません(笑)

 

 

すごいことを成し遂げるってとっても大変なことに感じられるんですが、すごいことを成し遂げた人はいきなりワープしたわけじゃないんですね。

平凡で誰でもできることだし、簡単だけど、みんながやっていないいいこと、善事を積み重ねてきたんですね。

 

私も平凡なことならできるだろうと少しずつやっていきますと、面白いものでやらなかったときよりも明らかに運が向いてきます。

 

こういうことは、まずは実践。やってみて試してみて効果がでるか。

 

今日も一日一善としゃれこみましょう。

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