行政書士田中建太郎が生まれるまで㉑

ちなみに、なぜ人材派遣を選んだかというと、そもそもそこしか受からなかったためなんですが(笑)、大学の3年、4年のときに警備会社でアルバイトをしていたんです。

立川にあるWINSという場外馬券売り場の警備に派遣されているんですが、こちらの場外馬券売り場の警備員は二種類ありまして、JRAと直接雇用契約を結んでいるWINSの制服を着ているアルバイトは8時間で日給12,000円くらいもらえてたんですが(2000年当時の話です)、JRAが外部委託している警備会社の警備員のアルバイトの私は日給で8,500円くらいと、やってる仕事はおんなじなのに、制服が違うだけで賃金格差が大きかったんですね。

 

この差額の3500円は、会社が懐に入れているわけです。

ということで私が感じたことは、「なるほど、世の中世知辛いな、どうせピンハネする側とされる側があるなら、ピンハネする側にまわった方がいいだろう。」

今思い出すと、顔から火が出そうなくらい幼稚な考えですが、20前後の私はその程度のアホな学生でした。

 

 

どうにかこうにか大学も卒業できまして2001年4月1日、入社式。

私の最初の配属は長野県は松本市でしたので翌2日には松本へ移動します。



それから半年の現場実習ということで某メーカーの松本工場へ一派遣スタッフとして配属されました。

そこは、精密機器を扱う工場の一部門として、精密機器を汚さないようにクリーンルームスーツを洗濯する、クリーニングする部署でした。

 

しかし一つ一般の企業とは異なることがありました。

それは。。。。。

 

明日へ続く。

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